メーカー経理マン雑記

学生時代には経理になるなんて全く考えてなかった人のブログ。経理の実態、就活などについて思うこと書きます。

経理に配属された新入社員が意識すべき5つのこと

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就活を終え、配属発表というハリーポッターでいうところの組み分け帽子イベントを乗り越えた新入社員達。

 

希望して経理になった人、興味なかったのに経理になってしまった人、そもそも経理って何してんの?という人、様々いることでしょう。

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今回は、社会人3年目(=経理歴)の僕が、僭越ながら経理として生きていく為に必要なことをあげていきます。

 

 

1.簿記力をつける

社会に出る前に君たちは学校でどういうことを教わったでしょうか?

 

「これからの時代は英語が大事になる」

「そう!!グローバル!!」

 

こうもてはやされたのではないでしょうか?

 

もちろん、英語は大事です。

 

最近では地方の工場でもデビットノートと呼ばれる請求書のやり取りを海外の会社とすることが増えてきました。

 

英語の契約書の中身を解読しないといけない時もあります。

 

しかし、経理として生きていくなら、まずもってそれ以上に大事なことは、ずばり、会計の知識をつけることです。

 

英語はどんな人でも学校で習っています。

 

会計知識については、大学で、商学部にいたり、商業高校出身であったりしないと、学ぶことはありません。

 

にもかかわらず、経理は会社内では会計のプロとして見られます。

 

他部署の人からしたら、経理より会計に詳しい部門は、会社には存在しないはずなのです。

 

何も知らない新入社員といっても、電話をとれば、色々聞かれます。

 

仕事には「納得感」というものが大事だったりします。

 

会計上どういう扱いなのか?どうしてこの処理をしなければならないのか?なぜこの数字になるのか?

 

こういうことは、会計の基本である「簿記」をある程度理解していないとこたえられません。

 

また、配属先経理の先輩から色々教わるにしても、簿記の知識は基本として非常に大事です。

 

折角時間を割いて教えて貰ったのによくわからない、なんてことになりかねません。

 

全て会社から教えてもらえると思ってはいけません。

 

まずは、簿記力を身につけましょう。

 

 

2.Excel力をつける

普通に高校を出て、普通に大学を出た人間であれば、Excelに触れる機会はそう多くないと思います。

 

せいぜい棒グラフや折れ線グラフをつくるくらいなのではないでしょうか?

 

僕は関東の大学(自分でいうのもどうかと思うのですが、世間的には難関校国公立大学と呼ばれるところです。)を卒業し、いきなり地方の工場に「組み分け」られましたが、そこの経理は6人しかおらず、ほとんどが高卒や、高専卒の人達でした。

 

とはいえ、経験は僕よりはるかに上です。

 

僕は大学で商学を学んでいたため、会計知識もそれなりにありましたが、当然そんな薄っぺらいものでは実務では役に立たないわけです。(先輩の説明を理解するのには非常に役に立ちました。)

 

それに加えて、非常に大きな差を感じたのがExcel力です。

 

Excel力がなければ、各種データ集計をするのに非常に時間がかかります。

 

僕が入社1年目に行なっていた予算編成の作業を、翌年別の先輩が行ったら、半分くらいの時間で完了させており、さすがに落ち込みました笑

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ピポットテーブルや、VLOOKUP関数などは、使いこなせるようになると、非常に有効な武器になります。

 

一冊Excel本を読めば、大体のことは理解できるはずです。

 

Excel力をつけて、業務を素早く行えるようになりましょう。

 

 

3.とにかく経験をつむ

経理は経験値がものを言います。

 

実務経験を積むことによって、知識や現場への対応にも磨きがかかってくるものです。

 

また、若さをいかして、他部署の人にどんな作業を行っているのか聞いてみるのも面白いです。

 

工場の場合、各課に原価を含めた自部門の管理をする担当者や、グループがあったりします。

 

大抵の場合、経理は何かあると彼らに依頼し、課内の調査を行ってもらうことになりす。

 

その時に報告されてくる数字はどういう作り方をされているのか、聞いてみると良いです。

 

業務の流れを理解するのに役に立つはずです。

 

そして、そういう経験が、他部署で問題にぶつかった時に、いきてくるのです。

 

「A部署ではaだった。B部署ではbだった。それを踏まえると、今回のC部署では、cという対応を取るのがよいだろう。」

 

これが実務を知るということで、知識だけではない、経理としての経験値が問われるところです。

 

経験を積む、そして、できれば新人という立場を生かして色々と聞いてみると良いと思います。

 

 

4.やりがいは自分でみつける

 僕の場合、就活はメーカーを中心に絞っていましたが、経理をやるつもりなんてさらさらありませんでした。

 

普通に営業志望でした。

 

というか、経理やるなら別に今の会社である必要はあまりないわけで。

 

そもそも経理に配属されるなんて微塵も考えていなかったわけです。

 

父は、営業畑でしたが、経理はずっと会社に篭っているからきつそう、と僕に言い聞かせていました笑 そのため、経理といえば、黙々とパソコンに向かってカタカタやってるイメージがあったのです。

 

だからこそ、当初、やりがいをみつけるのはかなり難しかったです。

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幸いにも、僕には経理の適性があったように思えるので、今は必ずしもそうは思いません。

 

あと、僕の会社の場合、経理でも性格は明るい人が多いです。これも大事なポイントです。

 

簿記とExcelができるようになると、少しづつ業務を自分の力で変えられるようになってくるので、それに伴って考え方も変わってきます。

 

経理のやりがいは、受け身のままでは、おそらくわかりません。

 

とはいえ、経理のやりがいがわかるようになるまでには10年かかるという人もいるので、長い時間が必要なのかもしれません。

 

いずれにせよ、どんな仕事でも、やりがいや面白さは何も考えなくても手に入るほど甘くはありません。

 

会社に入って愚痴ばかりになってしまう人とそうでない人の差は、こういった小さな意識の差にも関係しているような気がします。

 

やりがいは、与えられるものではなくて、みつけるものです。期せずして経理に配属されたからといって腐ることなく、地道に頑張るということも新人のうちは大事なことです。

 

それをみた上司が大きなチャンスを与えてくれることもありますからね。

 

 

5.向き不向きを見極める

ここまで経理として必要な考え方について述べてきましたが、残念ながら経理に向いていないタイプの人というのは少なからずいます。

 

僕の会社でも、大卒で経理に配属された人は、結構やめます。

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やはり、最初営業志望だった人を、入社当初の性格検査などの結果を見て経理に振り分けるのは、構造上無理があるのです。

 

全然違いますからね。

 

経理と営業って。

 

逆に中途で入社してくる人は、前職で経理職についていた人が殆どです。

 

経理に適性があると感じることができた人は経理を長く続ける傾向はあると思います。それが一つの会社でなかったとしても、という前提にはなりますが。

 

向いてないと思ったら、それは向いていません。

 

異動希望もすぐには出せない、というのなら、さっさと辞めて次のチャレンジをした方がいいと思います。

 

性格的に経理に向いてない人が、経理で居続けるのは、かなり辛いと思います。

 

この辺りを見極めるのも、経理配属当初は大事なことです。

 

自分のことは、自分で考えましょう。

 

向き不向きがある職種であることは意識しましょう。

 

 

経理配属の新入社員へのアドバイス

・簿記力をつけて、会計を理解しよう

Excel力をつけて、一人前の経理になろう

・どんなことでもとにかくやってみよう

・やりがいはすぐには見つからないことは覚悟しよう

・向き不向きについて、早めに真面目に考えよう

 

以上、社会人頑張りましょう!

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【若手工場経理マンが語る】ここがつらいよ経理職

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経理職として勤務したことがない人からすると、経理の仕事は想像するのが難しいはずです。

 

内勤でゆるふわ!と思っている方もいるかもしれませんが、経理にも辛いことがあります。

 

 

 

 

一日中動かないことが多い

僕は寮から会社までの時間が歩いて5分という最強な立地に住んでいますが、平日の歩数は3000歩~5000歩です。

 

ちなみに日本人の平均値は7000歩前後です。

 

経理は圧倒的に動きません。

 

入社して最初の頃、一番辛かったのはこれです。

 

半年もすると流石に慣れてきますが、脚の筋肉落ちるのではないか?とか、体力の低下半端ないのではないか?とか、色々考えます。

 

もちろん、他の部署に行って会議をしたり、工場であれば、実際の現場を見に行って確認するといったこともあります。

 

ですが、このようなことは、基本的には稀です。

 

営業職であれば、出張先のカフェで一息つく、といったこともあるのかもしれませんが、経理はこういうのは難しいですかね…。

 

あと経理の職場は、他の人もだいたい席にいるので、周りの目を気にして変なことはできないですね。(するなよという話ですが…)

 

机についている限りは、周りの景色が変わらないので、集中力が切れてきた時に、気分転換する方法がなかなかありません。

 

現場と事務所を行き来する技術部隊や、出張の多い営業職などとの大きな違いではあると思います。

 

 

成果が指標としてあらわれにくい

経理は利益に直接的に結びつく部門ではありません。

 

(もしかしたら頑張る方向にもよるのかも知れませんが、)基本的に、経理がどれだけ頑張っても会社の売上は上がりません。

 

技術の方であれば、自分が開発した技術が採用された製品が市場に出されたりすると、やりがいを感じたりするみたいです。

 

営業職の人も、自分の頑張りによって、売上高が変動しますよね?

 

こういうのが、他職ではやりがい(あるいは辛さにもつながるのでしょうが)になるのだと思います。

 

これに比べて、経理職は、業務の成果を測定する明確な指標がありません。

 

あくまで個人的な感覚ですが、上司の言うことに従順な人が上に上がりやすい気はします。

 

上席者からしても、扱いやすいですからね、そっちの方が。

 

成果を出して、ムカつく奴らをだまらせる!!的なドラマチックな展開は期待しない方がよいでしょう。

 

加えて、経理はみんながみんな、同じことをしているわけではありません。多くの企業で、担当が別れているはずです。

 

例えば、工場経理であれば、Aさんは出納、Bさんは固定資産、Cさんは間接費の管理…などとなります。

 

このような中で、一律に横並びで人事評価するのはかなり困難です。

 

公平に評価できないのは上席者がわるい!という声も聞こえてきそうですが、下っ端の僕でも、構造的に人事評価が難しいことは、配属されてすぐにわかりました。

 

 

言いにくいことも言わないといけない

経理は振る舞い方によっては嫌われ役となってしまう可能性があります。

 

 

「伝票は○日までにかならず出してください。」

 

「証憑が足りていないので承認できません。」

 

「経費処理でわからないことがあれば事前に経理に照会ください。」

 

 

といった、「小言」をいわないといけない時もあります。

 

これは、経理の仕事が正確性を求められ、処理が曖昧だと、後で国税庁や、会計監査のときに、色々と言われてしまうためなのです。

 

国税であれば、間違った処理をしていると、追徴課税といって、普通の数倍重い課税を課されることがありますし、会計監査で指摘事項があると、コンプライアンス的な問題にもなりかねません。

 

このような事情から、経理は、嫌な顔をされるとわかっていても、伝えないといけないことが少なからずあるのです。

 

 

事業とのかかわりを感じにくい

就活では営業職を希望していたのに、経理に配属されてしまった、という人がいると思います。

 

このような方からすると、経理の仕事は大変つまらないものに感じられるようです。

 

製品に直接的に関わるわけではないですし、毎日が同じようなルーティンの繰り返しとなることが多いためです。

 

マーケットがどう動いているか。

社会がどうなっているか。

 

これを知らなくても、経理職はできてしまいます。

 

これが経理職の怖い所でもあると僕は思います。

 

傾向として、経理職は受動的なポジションであることは間違いありません。

 

とはいえは、おそらくどんな仕事も同じであると思いますが、積極的に動いていけば、とれる仕事やチャンスが、経理にもあります。

 

ここは心の持ち用にもよるのかなと思います。

 

いずれにせよ、折角メーカーに入ったのに、製品をどう売るか?どう見せるか?どうやったら売上があがるか?といったことを考えることは、経理ではほとんどないため事業に関わっているという感覚は少ないです。

 

僕も、ある製品の原価計算を担当していますが、結局のところ、製品のことを考えるのは、製造部者や、営業担当者です。

 

自分が関わっているのは、製品というより、「数字」。

 

経理は、事業ではなく、「数字」をつくる部署なのです。

 

 

経理にとって「正確」は当たり前

経理がミスすると、他の職場の仕事が増えることが多いです笑

 

これは自分にとってもマイナスであるため、できれば避けたいですよね。

 

数字をつくる部署である以上、作った数字は正確でなければなりません。

 

グラフや表に用いられるデータが実際のものと違っていたりすると、経営判断のミスに繋がります。集計に漏れがあると、費用負担の割合が部署間で変わってしまうこともあります。

 

このようなことがないように、経理は常に気を遣っていなければなりません。

 

体力は使わないですが、精神力は必要な部署ではあると思います。

 

 

まとめ

経理はつらいこともあります。

ですがそれは、どの職でも一緒のことです。

要はすべて、心の持ち用かなと思っています!

 

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メーカー経理のやりがいについて考えてみた

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タスクを着実にこなしていく達成感 

年次決算や予算策定の際には、タイムスケジュールにそった処理が求められます。

 

月次/年次決算では、月末日までに確定した数字を使用することが多いため、仕事を前倒しすることができないことも多いです。

 

例えば、原価計算であれば、僕の会社では、月次ベースで原価計算を回しています。

 

例えば、それが、4月であれば、4/1~4/31までに取引された原材料の数量で、処理を回します。

 

4/30の段階で、処理を開始することは基本的にはできません。

 

このような処理が、月初にはたくさんあります。また、別の人の後続の作業もあるため、遅れることは許されません。

 

このような事情があるため、経理の仕事には、スピードが求められます。

 

そして、決められたタスクを着実にこなしていく必要があるのです。

 

やるべきことを一つずつ片付けていくことは、達成感に繋がります。

 

(僕はto doリストをExcelで独自に作っていますが、達成感を感じれるように、完了した案件は色が変わるように加工しています笑)

 

1月は、予算業務もあるため、月次の処理と決算月の処理を回しながら、業務を進める必要があります。

 

このように、やるべきことが重なるときは、きついですが、全て完了したときの達成感はひとしおです。

 

 

知識をつければいかされる

 経理の業務において、簿記の知識は確実にいかされます。

 

特に、トラブルが起きた際には、システムの中で行われる自動仕訳では対応できないことがよくあります。

 

こういう時に、簿記の知識は役に立ちます。

 

その他にも、各部署からの問い合わせは、「なぜ?」を伴うものが殆どです。

 

こういった時に、「そういうものだから」という回答では、こたえになっていませんよね?

 

知識をつければ、つけた分だけ、仕事の役に立てることができるのが経理の仕事の特徴でもあります。

 

また、経理の仕事で必要なのは、会計の視点だけではありません。

税務の視点も非常に重要です。

 

例えば、何か投資をする際には、固定資産税が発生します。

従業員が増えたり、建屋面積が増えた場合には、事業所税が増えます。

 

このような税務的な付随費用は、損益の予測などの際に、見落とされがちです。

 

税務の知識があれば、見通しを立てる際にも、貢献することができるのです。

 

 

経営者視点に近い

経理は各事業の損益や各種の指標をExcel等用いて、まとめることが多い部署でもあります。

 

経営者が変わった時に、「こういう見方もある」ということを伝えることも、やりようによってはできます。

 

単純に予算対比で考える視点、過去の長期的なスパンで各費目別に増加減少を見ていき、次なる削減項目を設定するような視点、課題達成と経費削減を両刀でみていく視点、など、数字というのは、色々な人が色々な見方をするものです。

 

もちろん決定権はありませんが、過去の蓄積があれば、見方をアドバイスするとこまでは可能です。

 

経営参謀として、働くことが可能な数少ない職種といえるかもしれません。

 

 

システム化への道

昨今のICT分野の成長は、目覚ましいものがあります。

 

入社してから気づきましたが、特に大企業だと、既存システムの構造が複雑すぎて、外部のシステムパッケージでは対応できないものも多くあります。

 

このようなときは、単に外注という選択はせず、自社のシステムにあったものを内製することがあります。

 

経理の業務は「自動化」とは切り離すことができません。

 

自動化は、経理処理の構造を完全に理解していないと、行うことができません。

 

ある時はExcelの機能でできる時もありますし、システム部署の力を借りなければできないこともあります。

 

いずれにせよ、自動化によって、経理の働き方、及び関係各部署の働き方が大きく変わるのは間違いありません。

 

自動化は、新規性及び与える影響の大きさからも、やりがいのある仕事といって良いと思います。

 

こういうときは、誰かの作ったレールの上ではなく、自分で考えてシステム化するしかないですから。

 

 

まとめ

経理の仕事はつまらないといったイメージもあります。

 

確かに、向かない人には向きません。

 

しかし、経理の仕事にも、やりがいはあります。そこを経理の良さとして認識するかどうかの差もあるはずなのです。

 

経理職を考えている人は、是非イメージを変えてみてください!

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【現役時受験全落ちが語る】浪人生活と必要な覚悟について

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 浪人は悪くない

 「浪人」ー

 

そう聞いて良いイメージを持つ人は少ないのではないでしょうか。

 

かくいう僕も、浪人しました。

 

僕の場合、現役のときは、第1志望の国公立大学に落ち、早慶MARCHに全滅し、要するに全落ちしました。笑

 

後期試験まで勉強は続けましたが、東日本大震災の影響で、試験を受けることさえできず、大変悔しい想いをしました。

 

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その後、浪人して、早慶MARCHを着実に合格して第1志望の国公立大学にも合格することができました。

 

浪人は辛いです。

 

しかし、人生経験としては、意外と悪くないです。

 

 

周りもみんな影を抱えている 

 

僕は河合塾で浪人しました。

 

現役の時は、私立高校に通っていたので、塾には行かず、独学で勉強をしていました。

 

(こういう進学校は「塾に行かなくても大学に合格できる!」ということをウリにしていることが多いですが、塾に行った方が効率は良いでしょう。何より、問題集・講師の質の高さとと情報の多さでは、大手予備校には敵いません。)

 

浪人のスタイルは人それぞれです。

 

友達を作らず黙々と1人で勉強するタイプ。

 

同じ高校出身の必要最低限の友人とともにがんばるタイプ。

 

浪人は浪人で楽しもうとするタイプ。

 

など、いろんな浪人の仕方があります。

 

ただ、そんな浪人生に1つだけ共通していることがあります。

 それは、現役の時に納得のいく結果を出せなかったこと。

 

つまり「受験に失敗した」ということです。

 

大手の予備校だと、だいたい、志望校別にクラスわけされます。そのクラスの中で、勉強に打ち込みます。

 

浪人の時の費用を払ってくれるのは、大抵は両親であったりしますよね。

 

両親に対する申し訳なさや、失敗してしまった後ろめたさを、浪人生は誰もが抱えています。

 

周りもみんなそうだと、あまりそのことを気にしても仕方がない、というプラスの感情になることもあります笑

 

浪人生は、当初、独特の負のオーラを発していることが多いです。多分、僕もそうでした。

 

ですが、そのことは、次第に気にならなくなります。周りがそうさせるのか、受験が迫ってきてそうなるのかはわかりませんが。

 

誰もが「もうやるしかない」という風になるのが浪人なのです。

 

 

全員が背水の陣

浪人するということは、基本的に、もう後がありません。

 

結果的に2浪、3浪とする人もいるかもしれませんが、浪人は1年と決めて、その一年に全力をかけるのがよいはずです。

 

浪人するということは、肩書きを失うということです。

 

高校生でもない、大学生でもない、ましてや就職して自分でお金を稼いでいるわけでもない。

 

プー太郎です。

 

みんなその意識があるからこそ、がんばる人は非常に頑張ります。

 

僕はスポーツをやってきた人間なので、ある組織が勝ちを目指してスポーツで頑張ることがあるというのはなんとなくわかっていました。

 

中学生最後の大会とか、高校最後の大会とかって、多くの人が本気で頑張るじゃないですか。

 

勉強にも、そういう世界があることを、僕は浪人するまで知りませんでした。

 

僕の高校は、進学校とはいえ、なんとなく、特進コースに入って、志望校もなんとなく決める、という人が多かったのです。

 

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浪人したら、みんな本気です。

もうやるしかないからです。

後がないからです。

 

そういう他の人の頑張りを非常に近くで感じられるのは浪人の良さだと思います。

 

なかには、偏差値がすでに非常に高いのに、朝マックなどして人より多く勉強しているという人もいました。

 

こういう人が結局は第1志望に合格するのですよね。

 

 

浪人生活

僕の浪人生活は、非常に単調なものでした。

 

基本的に、ずっと勉強しています。

でも現役のときより1日の平均勉強時間は減りました。1日10時間くらいだったと思います。

 

僕は現役のとき全落ちしていたので、浪人時代は、プライドも何もかも捨てて、めちゃくちゃ基本を大事にしました。

 

数学では、計算ミスをしないために、毎日分数の足し算掛け算の問題集(小学生でもできる)を解いていたくらいです。

 

この気の持ち方が結構良かったのではないかと個人的には思っています。

 

「こんなはずじゃなかった」

 

と思いながら、1年間勉強するのはかなり辛いです。

 

基礎から一つずつやり直そうと素直に思えたからこそ、講師が言っていることをすぐに実行にうつせました。

 

この頃の楽しみは、週1回浪人友達と昼飯にラーメンを食べにいくことでした。

 

あと週末に録画したテレビドラマを見ることです。

 

僕の場合は、幸いにも家が帰る方向が同じ人達が少なからずいて、彼らと仲良くなりました。

 

浪人生活の息抜きの仕方は、そのラーメンとドラマと、あと浪人友達と、講師の悪口言うことでした笑

 

(とくに悪意はないのですが、みんなストレスが溜まっているので、意味のないことでも言いたくなってしまうというのがありました。共通の話題もそれくらいしかないですしね。でも講師陣の人達のおかげで合格できました。本当にすいませんでした。)

 

僕個人の意見としては、浪人時代に話ができる人がいるということはとても大事なことです。

 

一日中勉強していると、「人と話す」ということの重要性に気付かされます。

 

とくに、浪人は長丁場ですから、こういう息抜きも大切なことだったと思います。

 

 

浪人に向いてない人もいる

大学に合格し、入学してから気づいたのですが、明らかに浪人に向いてないだろうな、という人も実際にはいます。

 

浪人は、結局は自分との戦いです。

 

現実として、現役時代に合格した大学より下のランクの大学に行かざるを得なくなる人もいます。

 

根気がないと、続きません。

 

一度決めたら、やりきる事ができる人でないと、厳しい戦いになることも多いです。

 

あと、なんだかんだスタートダッシュが大事です。

 

浪人生は、現役生に比べて、秋以降、偏差値が伸びにくい傾向があります。

 

そうすると、これも辛いのですが、夏までにどれだけ頑張れるかという事が、非常に大事なのです。

 

直前までいいや、などと中途半端な気持ちで浪人すると、痛い目にあいます。

 

大学にいると、「この人は現役で合格したからすごいけど、浪人はできないだろうな」と思わせる人も結構いました。

 

性格的な向き不向きはあると思います。

 

 

浪人と覚悟

現実的なことをいうと、浪人しても、第1志望の大学にいけるひとは一握りです。

 

これが現実です。

 

浪人するなら、その可能性を受け入れて、やり抜く覚悟を決めてください。

 

そして、合格のために何が必要なのか、あるときは過去問で、あるときは講師から、徹底的に情報を得て、分析して、自分で決めたことは着実にこなしていくということが大事なのです。

 

浪人の1年間は、終わってみればあっという間です。

 

応援しています!

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ゆとり世代のあなたこそパワハラ対策についてまずは法律から知るべきです

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働き方改革が叫ばれている昨今、我々はどのようにしてこの社会を生きていけば良いのでしょうか。

 

働き方っていうけど、そんなの学校で習ってねぇよ!って方も多くいると思います。

 

というか僕も習いませんでした。

そういうの教えて欲しかったですマジで。

 

今回は、そんな労働が何たるものか教えられなかったゆとり世代のために、いかにして僕らの労働者たる権利が守られているのかをかいてみます。

 

 

労働法とは

まずは労働に関する法律の流れから把握するため、労働法の起源を市民革命から辿ってみます。

 

働き方改革!!とかいってないで、まずは僕らゆとり世代も歴史から学ぶことが大事です。

 

大事なことは大体歴史が教えてくれますからね。多分ですけどね。

 

さて、1789年、フランス革命がおきます。

 

「人は生まれながらにして、自由であり、権利において平等である。」

 

この時から、人々は「自由」を享受することができるようになりました。

 

誰が考えたんでしょうかね。いいこと言うなぁ、この人。

 

しかし、個人の自由を得ることは、一方で、「社会の保護」を失うことでもありました。

 

自由って、そういうことなんです。

 

要するに、上手くいくのもそうでないのも自己責任。市民革命と前後して、世界各国で起こる産業革命は、大なり小なり貧富の差を生みました。

 

経済の中心は、それまでの小規模な家族的経営から、大規模工場の運営へと変化していきました。

 

いわゆる「近代化」ですね。

 

そのような中、悲しいことに、劣悪な環境で働かされる人々が世界各国で増加しました。

 

1900年前後の日本の工場労働者は、休憩時間を除いて11時間働かされていたという記録もあります。

 

アンビリーバボー…信じられません。

 

そして、多くの人々は、感じるわけです。「個人の自由に任せていては、劣悪な環境で働く人々を減らすことはできないー。」と。

 

このような状況下で生まれたのが、労働法です。

 

労働法は、労働者の肉体的・経済的な危険と、人間としての自由の欠如を解決するために、考えられました。

 

法律が定める最低基準に違反する契約は、違法無効としたのです。例えば、1日の労働時間の上限や、休日の保障などです。

 

こういったものが、後の「労働基準法」や、「最低賃金法」に繋がっていきました。

 

これらの法律の名前は、社会の授業などで聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

これらによって労働者は人間的な保護を受けられるようになったのです。やっとです。

 

そして現代では、労働法はそこからさらに発展を遂げています。ゆとり世代のあなたには、ここからが、重要。

 

 

労働協約

労働法の世界では、労働協約就業規則、この2つが非常に重要な意味を持っています。

 

労働協約とは、労働組合と会社との間の取決めです。

 

労働者が労働組合という組織をつくり、労働組合と会社との間で団体交渉などと呼ばれる話し合いが行われます。

 

このようにして、会社と組合の間で締結される労働条件に関する合意・協定のことを「労働協約」と呼びます。

 

なお、誰もが一度は聞いたことのある、「36(サブロク)協定」については、労働協約ではなく、労使協定となります。

 

36協定は、時間外労働や休日労働に関する協定であり、労働基準法第36条が根拠となっていることから、こう呼ばれています。

 

労働協約には、書面に作成し、署名または記名押印するという一定の様式を満たす場合には、そこに定める基準に反する労働契約の部分を無効とし、無効となった契約部分を補うという効力があります。

 

例えば、ある会社で労働組合に入っているAさんがいたとします。Aさんの労働契約には、ボーナスは1ヶ月分と定められていました。しかし、労働協定に、ボーナスは2.5ヶ月分という規定があれば、労働契約の内容は、ボーナス2.5ヶ月分に修正されるのです。

 

これ聞くと、労働協約、まじ大事です。

確認したことありました?

今すぐ組合にいって確認すべきです。

 

就業規則

就業規則とは、会社ごとに定められる労働条件や職場規律などのルールです。

 

就業規則なんて、入社した時くらいにしかちゃんとみていない、という人、多いのではないでしょうか?

 

労働法の世界では、就業規則は非常に重要な役割を果たしています。

 

2007年に制定された労働契約法では、就業規則が合理的な労働条件を定め、それが労働者に周知されていた場合には、労働契約の内容はその労働条件(就業規則)によると定めています。

 

例えば、懲戒免職について、就業規則で定められていた場合には、基本的にはその定められたルールに従わないといけないということですね。

 

問題はこの就業規則が変更されるときです。

 

日本では、諸外国にくらべ、就業規則が相対的に重要な役割を果たしています。

 

なぜなら日本の場合、就業規則にほとんどすべての労働条件が記載されているためです。

 

(それなのに就活の時にそれはほとんど開示されない。これは違和感を感じざるを得ません。)

 

就業規則は、その変更が労働者に周知され、その内容が合理的であれば、変更に反対している人がいても、労働者全体を拘束します。

 

でもこれって変ですよね?

 

普通、労働条件というのは雇用契約時に定められるもので、その契約が途中で勝手にかえられるなんておかしくないですか?

 

たとえば、携帯会社と契約をした時に、その契約内容が会社に一方的に変更されることなんて、基本的には考えられないですよね。

 

しかし、日本の労働法はこうなっているのです。これは、日本の労働法の特徴的な点の1つといえそうです。

 

 

転勤を伴う人事異動

日本企業では、長期的な雇用慣行のもとで、配転(転勤)が広く行われてきました。

 

転勤については、就業規則に記載されていることが多いです。

(確認してみてください。)

 

就業規則の重要性は前述の通りです。

 

もし、就業規則に配転の記載があれば(というかほとんどあるのでは?)基本的には、それは、本人が嫌でも断れない、ということになりそうですね。

 

僕の会社の就業規則にも、「従業員は、正当な理由がなければ、これを断れない」と書いてありました。

 

ゆとり世代の方々の中には、これ程就業規則が重要だとは思わなかった人もいるはずです。

 

校則みたいなもんか!と思っていたら大間違いですよ。

今一度、自社の就業規則をしっかりと読み直してみてください。

 

ただ、配転命令にも、権利の濫用になってはならないため、制約があります。

 

具体例を以下にあげてみます。

 

1.不当な負担(長時間の通勤など)を強いてまで配転をする業務上の必要性がない場合。

2.単なる嫌がらせの場合。

3.転勤すると病気の家族を介護できなくなる場合。

 

このような場合には、配転命令が認められません。

 

なお、僕のかつての上司は、二世帯住宅を購入した直後に地方に転勤となり、転勤先に勤めている間に、父親が亡くなってしまいました。

 

これってどういう扱いになるのでしょうかね。働き方改革はこういうところから行なっていかなければならない気もしています。

 

東京で集中的に人を採用して、それを地方に配置していく現在のスタイルは、もはや時代遅れなのかも知れません。

 

転勤なんて、みんなできればしたくないですからね。

 

人事方式の修正も今後は検討していってほしいものです。

 

 

ゆとり世代は自分の身は自分で護ろう

僕の職場では、上司のパワハラによって、ひとり人が辞めました。

 

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もちろん、そのことは、労働組合も知っていました。

 

しかし、労使協調路線か何だか知りませんが、組合は、結局何もできないまま、その人は退職に追い込まれました。

 

自分の身は、自分で護るしかありません。

 

はずかしながら、そのパワハラをみて、それが日常になっている自分がいました。周りの人たちも、助けたいと思いながらも、結局は何もできない場合がほとんどです。

 

その人には、奥さんと子供がいました。

 

新しい会社では、是非幸せになってほしいです。

 

ゆとり世代である僕は、パワハラが、こんなにも強烈で、救いようのないものであることを、まったくわかっていませんでした。

 

苦しい時に、本当に頼れるのは自分だけです。

 

最低限の知識をみにつけ、みずからの身を守りましょう。

 

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僕は「この経験がきっと将来役に立つから」という言葉が大嫌いだ

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受験や部活、あるいは仕事、あるいは就活など、人生には辛い経験がつきものです。

 

そんな時、

「この経験は将来きっと役に立つから」

と言ってく励ましてくれる人も多いでしょう。

 

誰もが一度は言われたことのある言葉ではないでしょうか。

 

しかし、僕はこの言葉が大嫌いである。

 

 

将来ではなく今をどうにかしたいんだ

僕は小学生の頃からあるスポーツをはじめ、中学、高校、大学と、最後の年には必ず部長を務めてきました。

 

部活では、人間関係や組織内のモチベーションの差異などに悩まされることも多くありました。

 

そんな時に、周りの先生たちはいつも声をかけてくれるのです。

 

「この経験はきっと将来役に立つから」

 

と。

 

非常にありがたい言葉です。

 

苦労してる僕をみかねて声をかけてくれたのでしょう。

 

その思いやりには非常に感謝しています。

 

しかし、社会人になってから思うのは、この何か問題が起きた時に「将来役に立つから耐えろ」方式の課題解決(解決してませんが)方法は、何の役にも立たないということです。

 

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僕が高校時代に部長を務めた時、ある部員の部活内での遅刻や練習態度が悪いといった問題が起きたことがあります。

 

僕自身は、大事な試合を控えていたこともあり、そのことに気を揉みながら練習に取り組むといったことが続きました。

 

そんな時に本当に欲しかったのは、将来役に立つからという励ましではなく、今直面している問題を解決するための方法でした。

 

(もちろん、励ましてくれた先生方にはとても感謝しています。)

 

学生のうちの試合というのは、1試合1試合がかけがえのないものでして、とにかく結果を出したいという想いも強くなります。

 

就活や受験もそうです。

 

ここ一番でかならず結果を出さなければならない時があります。

 

その時には、多少辛い想いをしても、人はがんばります。

 

そして、そのような切羽詰まった時、問題は、自分の将来にあるわけではなく、直近の「今」にあるわけです。

 

「どうしたら偏差値があがるのだろうか」

「どうしたら内定がもらえるのだろうか」

 

このようなことに悩んでいるときに、自分自信に「でもこの辛い経験はきっと将来の役に立つはずだ」と言い聞かせても、何にも解決しないのです。

 

問題というのは「いまここ」にしかないのです。

 

 

将来役に立つはずという思考停止状態

「いま苦労していることは将来必ず役に立つ」

 

というのは希望的観測です。

 

もちろん、後になってから、結果として、あの時○○な経験をしたから今の自分があるんだ、と思える時もあるでしょう。

 

ただ、本当に今している経験を役に立てたいなら、この経験が将来のどのような状況で役に立つのか、という部分までしっかりとイメージできていないといけません。

 

『今この辛い経験は、将来、○○するときに必ず役に立つはずだ。だから、今は辛いけど、これをやりきる必要がある。』

 

と思えるのであれば、それはそれで頑張れば良いと思います。

 

問題は、解決したいのに解決策が思いつかなく、途方に暮れているときです。

 

そんなときに、「将来役に立つから」と言われても、結局何も解決しません。

 

ある有名なコーチが、コーチとしての活動を引退する時にいっていたことがあります。その人は、年齢が60を超えていました。

 

「私はもう選手を『教育』することができない。知識と経験はあるから、まだ、『教』えることはできる。しかし、年齢のおかげで選手と一緒に試合にいくことができない。選手と一緒に悩んで、考えることができない。つまり、私には、もう『育』てることができないんだ。」

 

これは非常に意味がある言葉です。

 

この人の中では、「教える」のと、「育てる」のとでは概念が違っています。

 

「育てる」とは、その人と一緒になって悩んで考えることなんだと。

 

僕は、中学、高校時代のとき、部活で起こる問題に対して解決策がわからなくてずっと悩んでいました。

 

本音をいえば、そんな時に欲しかったのは、励ましてくれる人ではなく、「一緒に悩み、考えてくれる」人でした。

 

社会人になって、役に立つのは、将来きっと…といって「逃げる」ことではなく、ひたすらに現実と向き合い、考えることです。

 

残念ながら、先生も、上司も、あなたの「将来」に責任を持ってはくれませんよ。

 

 

将来役に立つかは自分できめろ

社会人になれば、自分が今行なっていることが将来役に立つか立たないかは常に自分で判断していく必要があります。

 

勉強もそうです。

 

文系の人は、高校数学が将来何の役に立つんだ!?と思いながら勉強をした人も多いはずです。

 

何がサイン、コサイン、タンジェントだよ、しらんわ!!と。

 

そう思うならばそういう科目は赤点取らない程度に流して、自分が必要と思う科目に集中すればよいと思います。

 

先生は言います、「この経験が将来役にたつんだ」と。

 

しかし、そういう人に限って、あなたの将来の責任はとってくれません。

 

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というか、自分の人生の責任は自分でとるしかありません。

 

辛い経験は役に立つことも多いですが、全てが役に立つとは限らないのが事実です。

 

例えば、上司からパワハラを受けていた経験が役に立つのでしょうか?

 

これは間違っているとと思ったら、自分で行動するしかありません。

 

自分の将来は自分で決めましょう。

 

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悩んだら先人たちの知恵を借りる

自分で言うのもなんですが、僕は部活関係では結構苦労してきた人間だと思います。

 

その経験から、大学では、「組織論」という学問を学びました。

 

その中には「もっとはやくから知りたかった…」と思うようなことも多くありました。

 

自分が悩む程度のことは、先人達がすでに解決の糸口を模索し、ある程度結論を出している可能性があります。

 

そういう意味で本を読んだり、経験のある人に話を聞くということはとても大事なことです。

 

このこと自体に、もっとはやく気づくべきだったのかもしれませんね。

 

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社会人1年目は「キャリア」に騙されるな

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「キャリア」

 

この言葉が公的な教育機関から宣言されたのは、1999年のことです。

 

中央教育審議会答申に「キャリア教育」という言葉がでてきます。

 

中央教育審議会とは、「教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材に関する重要事項を調査審議」するものとされています。

 

(こんな完璧な人材いるのか・・・?と若干思いましたが。)

 

この頃あたりから、これからを担う若者たちは「職業観・就業観の育成が不可欠な『時代』を迎え」た、とされます。

 

この背景には、20世紀後半のグローバル化や情報技術の革新があります。

 

キャリアの形成にとって、重要なのは、自らの力で生き方を選択していくことのできるような、「能力」や「態度」を身につけることだとされます。

 

かくして、「キャリア」関連の産業は大幅に成長しました。

 

就活や、入社してから、あるいは転職の際など、どのようなキャリアを望んでいるのかを常に問われる時代となりました。

 

 

 

社会人基礎力にみる能力至上主義

キャリア観念の根底にあるのが、「能力」至上主義です。

 

経済産業相は、2006年に、「社会人基礎力」という概念を打ち出しました。

 

社会人基礎力とは、「前に踏み出す力(アクション)」、「考え抜く力(シンキング)」、「チームで働く力(チームワーク)」の3つを能力の柱としています。

 

雇用する側の企業も、求める「人材像」を積極的にアピールするようになりました。

 

その中にも、どのような「能力」を持った人がほしいか、というのが記載されるようになります。

 

しかし、「能力」とはもともと明確化しにくいものであり、表現しにくいものです。

 

本来であれば、仕事における「能力」とは、働く場で形成され、実体化されるはずです。

 

それが、昨今、入社前にその証明が求められるようになってしまいました。

 

能力形成や、キャリア形成は、個人の努力と責任によって行うものになってしまったのです。

 

こうして就活生は能力のアピールに勤しむことになるのです。

 

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能力を評価することには限界がある

ただ、実際には能力を個人に属する実体として捉えたり、評価することには限界があります。

 

ある結果に対して、誰が、どれだけ貢献したか、そしてそれは、どのような「能力」に基づくものなのか。

 

経理などの明確な指標を持たない職種ではそれが特に顕著です。

 

このことを、僕たちは履き違えてはいけません。

 

世の中は、公平公正なルールや、公平公正な評価によって出来上がっていると考えるのは、非常に危険です。

 

そういう意味では、スポーツや受験は、かなり公平に近いです。

 

これらの世界で成功を収めていると、社会に出た時に、実社会がもっと曖昧でグレーな部分を含んでいることに気づくのに時間がかかるかもしれません。

 

特に就活では、能力を持った人間、ではなく、「能力をアピールする能力」を持った人間が強いです。

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もちろん、採用担当者は、何十人何百人と人をみているでしょうから、ある程度は、そのアピールに潜む本当の能力を見抜く力をもっていると思いますが。

 

能力は、公平に評価されるものではありません。若い人、特に就活生は、このことを意識しましょう。

 

就活を終えた人は、能力の証明は、結局のところ、働くことと切り離すことのできない、実態のないものだという認識をもつことです。

 

そして、企業内の評価の際にも、この能力というのが、今はものすごく重視され、それを評価されるようにアピールすることが大事みたいです。

 

 

入社後もなお続く能力至上主義

僕はこのことに、入社してから気づきました。

 

僕の会社でも、人事評価には「目標課題管理シート」なるものが用いられます。

 

これは、各自の職務上の課題と、それに対する達成度を記入するものです。

 

上席者は、これを用いて人事評価しますが、ここにも、アピールが上手な人と、そうでない人の差があらわれます。

 

例えば、人事畑出身の方は、評価シートには「誰々に〇〇していただき~」という書き方ではなく、「誰々に〇〇させた」、あるいは、「〇〇を動かし~」という書き方をせよ、という方がいます。

 

これ、なんか、就活ぽくないすか?

 

曰く、周りを巻き込んだことをアピールするためにそういう書き方をするべきとのことです。

 

就活ならまだしも、仕事していく上で、そんなんで評価が変わってしまうのだとしたら、これほど残念なことはありませんよね。

 

本当に公正な評価は、会社にはないのかもしれません。

 

 

「キャリア」という言葉に惑わされないためには

キャリアや能力評価に惑わされないためには、何が必要なのでしょうか?

 

就活をしているときに、「『何になりたいか』、ではなく、『何をしたいか』を考えろ」と言われたことを覚えています。

 

例えば、医者になりたい、ではなく、病気の人を助けたい、と考えるのです。

 

病気の人を助けるために医者になるという決断をした人がいるとします。

 

ここで大事なのは、「医者」は目的を達成するための手段でしかないということです。

 

『何になりたいか』という方向性で生きていると、医者になったときに、その人の目標は達成されて、終わってしまいます。

 

『何をしたいか』で生きていれば、病気の人を助けるために、医者ではなく、新薬の開発をする人もいるかもしれません。

 

目的を達成するための手段は、一つだけではないはずです。

 

能力もこれと同じだと思います。

何をしたいかが明確でないと、資格を身につけてもあまり意味がありません。

 

キャリアとは結局、何をしたいかを考え続け、そのために必要なものを手に入れていく過程ではないでしょうか。

 

社会人は難しいです。

 

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