メーカー経理マン雑記

学生時代には経理になるなんて全く考えてなかった人のブログ。経理の実態、就活などについて思うこと書きます。

受験アスリート

僕は大学受験時、1年間の浪人を経験しました。

 

高校はいわゆる進学校に入学したのですが、僕の所属する部活は県内でも屈指の強豪校であったため、高校時代は3年生までほぼ部活をしていました。

 

浪人が決まり、同じクラスになった人達は、今まで自分の周りにいた人々とは異質な存在でした。

 

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受験に本気でストイックな層の存在

浪人クラスには、現役時、「志望校にあと数点で合格できた」というレベルの人が何人かいました。また、誰もが名前を知るようないわゆる名門私立中高一貫校出身の人々も多くいました。

 

彼らの多くは、それに驕ることなく、ひたむきに勉強を続けて、そのうちの何人かは第一志望校に合格しました。彼らの多くは、高校時代の部活は2年生の中盤から後半で辞めて、その後は受験に専念するというスタイルをとっていました。

 

 

 

文武両道は正義か?

僕は小学校からあるスポーツを始め、それまでずっと部活動で続けてきたことから、なんというか、「文武両道第一主義」といったら語弊があるかもしれませんが、勉強も部活も頑張るのが正義だと思ってきた部分があるのだと思います。

中学校でもほぼ全ての生徒が部活に入りましたし、それが推奨されていました。

 

その後、高校に入学しますが、僕の高校は私立高校で、まさに「文武両道」を掲げていました。実際、全国レベルで勝ち上がる部活も多くありましたし、東大にも毎年合格者を輩出していました。

 

しかし、その実態は、「文武両道」ではなく、「文武分業」でした。

 

部活を頑張る人は、授業はほとんどきいておらず(だいたい寝てる!)、勉強を頑張る人は、部活をそこまで本気でやらないか、そもそも部活に入らない、といった選択肢を取ることが多かったのです。

 

部活でも高い結果を出し、受験でも日本屈指の大学に合格する人は大変稀でした。

 

世間では勉強ばかりしているのは良くない、と良く言われます。

 

僕自身も、スポーツや部活を通じて対人関係やその他にも様々なことを学べたと思うことも多くあるので、その意見自体には一理あるとは思います。しかし、だからと言って、スポーツや部活に入らず、勉強している人たちを一概に蔑むのは筋が違うと考えます。「部活は高校3年生の最後までやるべきだ」という考えを押し付けるのにも今では違和感を感じてしまいます。

 

 

 

中途半端な「文武両道」

世間では、「文武両道」は素晴らしいことだともてはやされます。多くの人が、小学校から中学校にかけて、大人達や、様々なメディアによって、そう刷り込まれるのではないでしょうか。僕もそんな子供の一人だったのだと思います。

 

しかし、「文武両道」は自分の時間をスポーツと勉強という二つのものに振り分けるため、どちらも中途半端で終わる可能性を秘めています。

本気で結果を出したいなら、どちらかは捨て、一本に専念するのが効率的です。

 

 

 

受験アスリートにもっと光を当ててもいい

ここで、浪人時代に話を戻します。僕の周りにいたいわゆる名門私立中高一貫校出身の人々は、受験に対して、大変ストイックでした。もちろん、出身校に関わらず、一定数そういう人々がいました。

 

彼らは予備校の授業では、積極的に講師に質問にいく人が多かったですし、早朝だと予備校の自習室が空いてないため、朝マックで勉強する人もいました。(彼らは当然自習室が閉まる夜10頃まで毎日勉強します。それも、受験直前期ではなく、浪人当初からです。)

 

また、講師に対しては、自分がわかるまで質問を続け、ものにしていくタイプが多かった気がします。

 

模試の結果が思わしくなくて、予備校のスタッフや講師と話しているうちに悔しくて泣いてしまうという人もいました。

 

そして、彼らの多くは、おそらく、自分の志望校に、「筆記試験」で合格したかったはずです。仮に「推薦入試」があったとして(僕のクラスの大学には推薦入試はありませんでしたが)、それで志望校に入れたとしても、嬉しくないはずです。

 

なぜなら、彼らは自分が勉強し、勉強によって結果を出すことに、プライドがあるからです。

 

僕の高校にはここまで勉強にストイックな人はほとんどいませんでした。だいたいが「◯◯大学特進コース」などにはいり、なんとなく勉強しているといった人がほとんどだったのだと思います。

 

物事に対して突き詰めて取り組めるということは、対象が何であれ、凄いことです。

 

僕は「文武両道」を否定しません。ただ、勉強を頑張ってる人は変な奴が多いとか、頭でっかちだとか、そういう偏見に対しては意見したいのです。少なくとも僕が浪人時代に接した「受験アスリート」の人々は、勉強に真摯に取り組んでるからといって、人間的に問題があったり、コミュニケーションがとれなかったり、といったことはありませんでした。それは世の中が作り出した単なる偏見なのです。

 

部活でも勉強でも、何か物事に突き詰めて取組んだ経験は力になるし、自信につながります。力を注ぐ対象に、貴賤はないはずなのです。

 

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