日大アメフト騒動から読み解く部活文化とスポーツ選手のキャリア
日大アメフト騒動の経緯
日大アメフト部が世間を騒がせています。
事の発端は、日本大学アメフト部の選手が試合で関西学院大学の選手に対して悪質なタックルをしたことです。
僕はこれをテレビ映像ではじめて見ました。素人目にも、「これはまずいだろ…」と思わせるのには十分な内容でした。
明らかに、無防備な関西学院大学の選手の背後からいきなり突っ込んで行ったように見えました。
被害を受けた選手は一部の報道では全治3週間の大怪我を負ったとのことでした。
この行動が、日大アメフト部の監督指示なのかどうかが今回の騒動のポイントです。
日大監督の会見で、報道からも明らかなように、反省の意がほとんど見られないものでした。
ネクタイもピンク色だったみたいですしね。
これを受けて、加害者側である選手が以下のコメントを会見で発表しました。
最後に、本件は、たとえ監督やコーチに指示されたとしても、私自身がやらないという判断ができずに、指示に従って反則行為をしてしまったことが原因であり、その結果、相手選手に卑劣な行為で怪我を追わせてしまったことについて、退場になったあとから今まで、思い悩み反省してきました。
そして、真実を明らかにすることが償いの第一歩だと決意して、この陳述書を書きました。相手選手、そのご家族、関西学院大学アメリカンフットボール部はもちろん、私の行為によって大きなご迷惑をおかけした関係者の皆様に、改めて深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。
もちろん、彼のしたことは到底許されるものではありませんが、自分の非を認めて反省しているという点で、相対的に、日大サイドよりははるかに誠意ある対応だったと思います。
なぜ選手はそこまで追い込まれたのか
彼のコメントからも明らかなように、彼は選手としての起用を監督・コーチよりちらつかされており、追い込まれていました。
とはいえ、あのような悪質タックルをすることは、人道に反する行為であることは、彼も理解していたと思います。
でも、彼は、監督サイドの指示に従ってしまいました。
日本の部活動の場では、このようなことが少なからず起きていると思います。
以下は、小学生の頃からあるスポーツをはじめ、中高大と体育会部活動に所属していた僕の見解です。
選手にとって、学生時代の数年間は、自分の一生において、かけがえのないものです。
ですから、一つの試合に出れるかどうかというのは、選手にとっては大きいのです。
「この次の試合で成果を出して、次の試合までに○○を磨いて、最後の大会では必ず結果を残す。」
どんなにヘラヘラしてるようにみえる奴だって、一つのスポーツに真面目に取り組んで強豪校と呼ばれる学校に入学しているならこれくらいの感情は抱くものです。
ところが、監督やコーチからすると、長い人生の間、自分がみる選手なんて腐るほどいるわけです。
よって、1人の選手と真摯に向き合おうとしなかったり、特定の選手に肩入れしてしまったり、という事案が発生します。
もちろん、限られた時間の中で、そうなってしまうのはある程度仕方のないことです。
これが現実だと僕は思います。
そして、選手側も、親の声援や友人からの期待に応えるためにも、絶対に成果を残したいわけです。
これはどういうことかというと、監督やコーチには、ある種の「人事権」があるわけです。
「○○したら、試合に出してやる。」
この権利を、自分の言うことを聞かせるために選手に使っては絶対にならないのです。
強豪校に進学する生徒は、そのスポーツに人生かけています。
その一つの要因として、たとえアマチュアだろうと、一つのことに一生懸命取り組むことは、日本では、「美化」される傾向にあることが挙げられます。
好きではじめたスポーツ。
最初は上手くなると周りから褒められて、それが嬉しくて、どんどん上達するかもしれません。
強豪校に入って、「伝統」に踊らされ、いつしか、「勝つ」ことが当たり前になる。
すると、だんだん辛くなってくるのです。
好きでやっていたスポーツのはずなのに、見ず知らずの他人からいきなり、「なんでそのスポーツずっと続けてるの?」と聞かれたときに、なぜか答えられない。
結果が出てるうちは、羨望の眼差しを色々な人から向けられます。
でも人間は、いつも調子が良いとは限りません。
結果が出ないときに、過去に、期待されて成果を出した経験(成果が出てしまった経験というかもしれません)があると、それが自らの首を締めてきます。
このアメフト選手も、海外大会における日本代表の話があるくらいの人物です。
相当に努力したんだと思います。
そんな中で、監督やコーチに人事権を濫用されて、思ってもいないことをしてしまったのではないでしょうか。
日本の部活動では、やる気を評価する文化があります。
レギュラーに入れるか入れないかといった瀬戸際では、やる気がある方が採用されたりします。
このラインの人達に、人事権をチラつかせるのは相当に悪質だと思います。
今回の場合、
「○○すれば試合に出してやる」
ではなく、
その選手の悪いところや、改善点を淡々と示してあげるだけで良かったのではないでしょうか。
まあ、それで改善したところで、試合に出れるかどうかは結局はわからないのが、スポーツの厳しいところですがね。
スポーツ選手のキャリアの現実
中学、高校の時に、部活動で成果を出すと、全校生徒の前で表彰されたりします。
表彰される人というのは、得てして偏りがちです。
よって、実際に話しをしたことはなくても、自分の学年の人で、部活で成果を出していた人は、印象には残りやすいはずです。
スポーツ推薦で高校や大学に進学した人達がその後どうなるのか、多くの人達はしらないですよね?
他県に行ってしまったりしますからね。
推薦で部活強豪校に入ると、当然その中で競争があります。
その代わりに、優秀な監督やコーチのもとで指導を受けることができます。
ところが、全員が全員、ハッピーエンドではないのが世の中というものです。
ある人は、競争に耐えられなくなり、ある人は指導があなかったり、ある人は部活の文化が合わなかったり、と、外的な要因で成果を出せないことがよくあるのです。
もちろん、自分に成果がでないことを、簡単に他人のせいにする人は、こういう学校にはあまり多くありません。
ゆとり世代といったって、こういう人達は、みんな、自分に厳しいですから。
そうして、思うような成果が出せないと、パチンコやギャンブルに走ったり、いつまでたっても就活していたり、あるいはニートになってしまったりなど、よくわからないことになっていることが少なからずあります。
そういうのを横目で知っているからこそ、ある程度成果を出せている人達にとっては、「自分こそは、(そうならないためにも)やり切らねばならない」と思ってしまうのかもしれません。
ダメだったら、趣味で続けるというのも一つの手です。
強豪校で本気で部活に取り組んだ人ほど、「趣味」といった「ヌルい」とりくみ方はできない、となって、そのスポーツ事態を辞めてしまう傾向にあります。
辞めると、結局やることがなくて、ギャンブルなどに走る…といったパターンです。
これ、意外にも結構あるんです。
もう少し、スポーツ自体を楽しむという方向で考えられるように、世間がなっていけばいいのにな、と、個人的には思います。
スポーツができるだけでは、幸せになれるとは限らないのは、世の厳しさなのでしょうか。
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